田んぼ通信よりⅡ

田んぼ通信、とってもいいなと思って読み直していたら見つけました。
思わず涙してしまいました。


『心の琴線に触れるお話 WEB版 』
   − 卒業証書のない卒業式とその後 − 

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 月刊マイセン通心で以前ご紹介した「卒業証書のない卒業式」は大きな感動
を呼びましたが、主人公のオリエさんのその後です。今年も、いろいろなこと
がありましたが、オリエさんのように強く生きたいものです。

まずは、もう一度オリエさんの手紙から・・・

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山村先生

きょうは記念すべき日なんですよね。私達大学の卒業式です。
ほんとうなら今頃、卒業式の会場で“仰げば尊し”を歌っているはずなのです
が、私は今ひとり近くの白川公園で“下町の太陽”を口ずさみながら、昼食に
おにぎりを食べています。

毎日自分で作って、会社の昼休みにこの公園でひとり食べています。外食はい
っさいしたことがありません。どうしても喉が乾いた時だけは、自販機の缶
コーヒーを飲む程度です。きょうも仕事が5時に終わったら、また6時から1
2時まで別のところでアルバイトです。もうこんな生活が半年位続いています。

先生。きょうもいい天気ですよ。3月とは言え、太陽がとても眩しくて・・・。
やっぱりこの歌、歌っています。

そう言えば山村先生は講義が始まる前の“おはよう”の挨拶がわりに、そして
また私達のクラスが何となく元気がない時に、「みんなどうしたの?こんなに
天気がいいというのに・・・」と言いながら、よくこの歌、歌っていましたよ
ね。

先生が「みんな知っているでしょ。“下町の太陽”」と聞くと「知らないよ、
そんな古い歌」と笑われながらも、先生が何度も歌うものだから、そのうちみ
んなも覚えてしまいましたね。

今から約2年前。山村先生が初めて私達の大学へ着任された日の4月。私もこ
の大学の新入生でした。この大学に来て、山村先生にも会えたし、学校の雰囲
気もよく、私はこの大学が気に入り、嬉しくて仕方がないと思っていた入学式
の1週間後でした。

友達もでき大はしゃぎで家に帰ったその晩、私の父の経営している会社が倒産
したことを、父から知らされたのです。陶器を輸出している小さな会社でした。
でも不債額が多かったため、家や土地も全部取り上げられることになりました。
毎日家に帰ると、紙が貼られた家具や電化製品がひとつづつなくなっていくの
です。ついに冷蔵庫もテーブルもなにもかもなくなってしまいました。

母が勤めはじめました。でも私はそのまま大学に通っていたのです。弟もいま
した。高校生です。何としてでも高校だけは出さなくてはと、私は4時半に授
業が終わるとすぐアルバイトに出かけました。夜中の12時まで働くので、最
初は夕食が込になっていたはずなのに、実際働いてみると夕食が出ないどころ
か、食べる時間さえないほどの忙しい仕事場でした。

夜中の1時頃帰宅すると、何もなくなってしまった台所の床にサランラップ
包んだ小さなおにぎりが2個、いつも置いてありました。これが私の夕食です。
毎晩、母が作って置いてくれるんです。

その後、父は蒸発し、見つかった時自殺未遂をしました。私達家族は家を追い
出され、小さなバラックのようなところに移り住むことになりました。この時
点で大学をやめることを迫られていました。でも私は絶対にやめませんでした。
朝、学校に行く前の早朝2時間、学校が終わってからの6時間。土曜、日曜も
返上し、私は夢中で働きながら、こうやって1年半を過ごしたのです。

でも、とうとう大学をやめなければならない時が来ました。行政体の手が私の
ところまで伸びてきたのです。負債額も多く、また債権者が何人もいる場合は、
その債務者の家族が大学へ行くことは許されないということでした。

あと半年で卒業できたと言うのに・・・。
ほんとうに悔しかったです。

私は今、朝9時から5時まで、夕方6時から12時まで、2ヶ所で働いていま
す。昔、先生は、朝9時から5時まで、そして夕方5時半から朝8時半までの
勤務を仮眠時間4時間という中で、2年間続けたことがあるって話してくれま
したよね。それを思えばまだまだ楽なほうです。それに先生は、妹さんが死ん
でしまったそうだけど、私には弟もいるし・・・。

先生、教えてくれましたよね。私達に。

「私は弱い人間です。あなたたちだけではありません。だから一緒に、こんな
弱い自分から今日こそ抜け出しましょう」 って。
そして「みんな太陽のようになろうよ」 とも言いました。
「知らず知らずのうちに相手の心を開かせるような、そんな太陽のような人に
なろうよね」って。先生。色んなことを教えてくれて、ありがとう。

私はきょう、白川公園でたったひとりの卒業式をしています。卒業証書のない
卒業式です。そして、私が卒業式に歌う歌は、“仰げば尊し”ではなく“下町
の太陽”です。不思議なことに、このほうがずっと元気が出るんです。

先生。聞こえますか。私の歌・・・。私の声・・・・。
ありがとう。山村先生。また明日から新しい気持ちで頑張ります。

オリエより
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そして、卒業できなかったオリエさんのその後についてです。

 父の経営する会社が倒産したことで、家を追われたオリエさん一家は、バラ
ックのようなところで暮らしはじめますが、オリエさんはその後も昼夜を問わ
ず働き続けます。やがて春が来れば、弟さんもいよいよ高校を卒業できるとい
う頃でした。お母さんがクモ膜下出血で倒れてしまいます。

 病院と仕事場を行き来しながら、次第に衰弱していくお母さんの看護に身を
削られる思いのオリエさんは、病床の母親が見せる微かな笑みを唯一の喜びと
するのですが、けん命の介護の甲斐もなく、ある冬の寒い朝、お母さんはとう
とう天国へ旅立ってしまいました。

 その時、お父さんは「私のせいだ!!」と叫んで、床に頬をすりつけ、号泣
されたそうです。起き上がることもできないほどの悲しみで、部屋に閉じこも
ったまま、身じろぎもせずに過ごされたそうですが、数日経ったある日、お父
さんは気を取り直して、オリエさんと弟さんを呼びました。

 位牌に掌を合わせながら、しばらく俯いたままのお父さんでしたが、やがて
しっかりとした面持で、「これから言うことを守ってほしい」と切り出し、
3つの約束を提案されたそうです。

ひとつめは「自分の力で生きていく」こと。
ふたつめは「自分を見捨てない」こと。“私のように、自分で命を絶とうなど
と、とんでもないことだった。自分を大切にし、決して夢を諦めないよう
に・・・”と。
そして最後は、どんな時も「家族を忘れない」ことでした。簡素な約束でした
が、これは家族3人がそれぞれの道を、別々に歩むことを意味していました。

 家族の新たな旅立ちです。お父さんは、ある会社の守衛として働くことにな
ります。弟さんは、大阪で住み込みのできる会社へ就職し、そして、オリエさ
んは働きながら、自力で再び大学へ戻ったのでした。

 その後、卒業と同時にトーフル(TOEFLE)の試験に合格。夢を諦めず、自分
を見捨てず、自分の力で生きていく、というお父さんとの約束を果たすために、
オリエさんは思い切った行動に出ます。働き続けて手にしたもの・・・。
それはカルフォルニア行の片道切符でした。

 彼女の夢は、アメリカに渡って、大きな農場で働くことだったのです。ひと
りの労働者として、すでに力をつけていたオリエさんは、カルフォルニアの広
大な農場で働くことに、ごく自然な思いを抱いていました。カバンひとつでア
メリカに渡ったオリエさん・・・。

 ある日、つなぎの作業着に大きな麦わら帽子をかぶった小柄なオリエさんが、
見渡す限りの農場で巨大なトラクターを運転している写真が、アメリカから送
られてきました。その表情には、多くを乗り越えたひとりの女学生、いえ、ひ
とりの女性のたおやかな笑みと誇りが満ちあふれて、憂うものはもうありませ
んでした。

『山村先生。

 子供の頃の夢がようやく叶いました。海の向こうには、こんなにも大きな世
界があったのかと、昔、耕した我が家の小さな畑を思い出しながら、今、農場
で昼食にサンドイッチを食べているところです。

 遠く離れていても、あの日、あの白川公園で食べたおにぎりを、そして、母
さんが毎晩作って、床に置いておいてくれたおにぎりの味を忘れたことはあり
ません。

 あの辛い出来事があったからこそ、今こんなに幸せな自分があるのだと、こ
こへ来てはじめて父に感謝することができました。

 母には、私のこの姿を見せることはできませんが、カルフォルニアの青い空
一面を、自分の便せんだと思って、毎日、天国の母に手紙を書いています。

 先生、教えてくれましたよね。書こうとする気持さえあれば、文章はいつで
も、どこでも、何にでも書くことができるって・・・。そして、その思いは必
ず伝わるものだって・・・。

 その先生にもお届けするものがあります。山村先生。そこまで聞こえますか。
私の声、私の歌・・・。海を越えても、やっぱりこの歌、歌っています。カル
フォルニアの空の下で歌う“下町の太陽”は、降り注ぐシャワーのようにあた
たかく・・・』

「赤い自転車に乗って」著者 山村洋子さんの「筆のしずく」より



頭が下がります。感謝。