田んぼ通信より

玄米の事を調べていた時に見つけた「㈱マイセン」と言うお店があります。
そこのメールマガジン「田んぼ通信」が届きました。
ここに載せさせていただきます。


『心の琴線に触れるお話 WEB版 』
   − 履物並べから学んだ人生観 − 

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 福祉の里・茗荷村(みょうがむら)を設立し、障がい児教育の先駆者といわ
れる田村一二(いちじ)氏のお話をご紹介します。
                          月刊誌『致知』より

 私は六人の息子を持っているわけですが、彼らがまだ小さいとき、どうして
も履物をきちんとそろえられなかった。叱っても、そのときはそろえるが、す
ぐに元通りに戻ってしまうのです。それで、私が尊敬する糸賀一雄先生にお尋
ねしました。

「しつけとはどういうことですか」と。

先生は、「自覚者が、し続けることだ」とおっしゃる。

「自覚者といいますと?」と聞くと、

「それは君じゃないか。君がやる必要があると認めているんだろう?それなら
君がし続けることだ」

「息子は?」

「放っておけばいい」

というようなことで、家内も自覚者の一人に引っ張り込みまして、実行しまし
た。

 実際にやってみて、親が履物をそろえ直しているのを目の前で、息子がバン
バン脱ぎ捨てて上がっていくのを見ると、「おのれ!」とも思いました。

 しかし、糸賀先生が放っておけとおっしゃったのですから、仕方ありません。
私は叱ることもできず、腹の中で、「くそったれめ!」と思いながらも、自分
の産んだ子供であることを忘れて、履物をそろえ続けました。

 すると不思議なことに、ひたすらそろえ続けているうちに、だんだん息子の
ことも意識の中から消えていって、そのうちに履物を並べるのが面白くなって
きたのです。外出から帰ってきても、もう無意識のうちに、

「さあ、きれいに並べてやるぞ」と楽しみにしている自分に気がつきました。

 さらに続けていると、そのうちに、そういう心の動きさえも忘れてしまい、
ただただ履物を並べるのが趣味というか、楽しみになってしまったのです。

 それで、はっと気がついたら、なんと息子どもがちゃんと履物を並べて脱ぐ
ようになっておりました。

 孔子の言葉に、「これを楽しむ者に如かず」というのがありますが、私や家
内が履物並べを楽しみ始めたとき、息子はちゃんとついてきたわけです。

 私事で恐縮ですが、ここに教育の大事なポイントの一つがあると思います。
口先だけで人に、「こら、やらんかい」とやいやいいうだけでは、誰もついて
きません。自分が楽しんでこそ、人もついてくるんだという人生観を、私は履
物並べから学んだ次第です。



楽しみにまでしてしまうって、なかなか出来る事ではありません。
口うるさく言うのは、それだけで終わってしまいます。振り返ってみるとそんなことが
幾度繰り返されたことか・・・・・今でもしかり・・・これは子育てに限ったことではありません。
親子・兄弟・夫婦・・・・すべての人間関係に通じることです。
結局、自分をしつける事が他者に反映するのですね。ジミ〜にやってみるのがいいのですね。
今からでも遅くありません。これからは自分をしつけようではありませんか!
もっともっと自分と向き合って楽しんで物事をすることにフォーカスしたいと思いました。
人生楽しくしたモン勝ちです。つまんない事でも楽しんじゃいましょう!
オ〜!