のぼうの城

映画「のぼうの城」観てきました。
http://nobou-movie.jp/
野村萬斎さんのうつけ役(でくのぼう)が、良かったです。この方の捉えどころの無い感じがイイです。
みんなの気持ちを掌握していく様が小気味イイ。
こんな人が日本を動かしてくれないものか・・・・と思ってしまいますね〜。
合戦のシーンも迫力・臨場感あって良かったです。
水攻めのシーンは東日本大震災を思い出してしまいました。
実話と言うことなので、成田長親に興味を持ちました。
「成田長親」
成田長泰の弟で、兄の子である忍城(おしじょう)城主・成田氏長に仕えた成田泰季の子に生まれる。
武勇に優れていたエピソードも無く、善政を敷いて御家を発展させたエピソードもない凡人の成田長親だったが、豊臣秀吉小田原征伐が始まると、城主・成田氏長が主君・北条氏直小田原城に入ったうえに、父・成田泰季が死んでしまった為、成田長親に忍城の城代と言う役目が巡ってきてしまう。

忍城防衛の責任者となった成田長親は、戦功を挙げさせてやろうという豊臣秀吉の親心から派遣されてきた石田三成長束正家大谷吉継ら20000に攻め立てられるも、戦国最強の姫武将「甲斐姫」の武勇や、坂東武者の子孫である領民や家臣達3000を統率して撃退し、石田三成より石田堤と呼ばれる堤防を築いて水攻めを受けても、元々が水に浮かぶ城といわれた忍城ゆえに持ちこたえ、最終的には北条氏直が籠もる北条氏の本城・小田原城が開城して以降も持ちこたえて、成田氏長からの降伏をすすめる使者に対しても、

「われら、餓死するより戦死を望む者」

と言い放って、豊臣秀吉の圧倒的な動員力と財力によって踏み潰された虫のごとき北条氏の中にあって、坂東武者の誇りと意地を見せ付ける事となった。

忍城を開城した後は、成田氏長と共に蒲生氏郷の預かりの身となるが、豊臣秀吉の側室となった甲斐姫の尽力によって成田氏長が下野烏山に所領を与えられると、成田長親は従って下野国に移り住んだ。

しかしその後、成田氏長より、忍城篭城時に豊臣秀吉への内通を疑われた成田長親は成田氏長と不和となった事から出奔し、出家した後、尾張国に移り住んで64歳で没した。

以上、なかなか魅力的な人でありますね。ついでに坂東武者も調べました。

「坂東武者」
武士の発生は全国的にほぼ同時だったのですが、とりわけ武士の本場とされたのは関東(当時は坂東)でした。
当時朝廷の勢力は奥州にまで及んでいましたが、蝦夷と朝廷との間で争乱は大小しばしば起こりました。
そんな時朝廷から鎮圧を命ぜられた将軍はなにぶん国軍がないのですから、主に関東で志願兵を募って行ったのです。また関東にあっても土地をめぐる争いや、家督相続をめぐる争いは日常的なものでした。

このように戦いの中で自然と関東の人達は戦士として鍛えられて行き、ついには坂東武者1人は上方(関西)武者8人に匹敵する、などと言われるようになったのです。

当時の荒々しい環境の下、坂東武者はたとえ親子兄弟であっても強い敵と戦い、これを倒すことを最高の名誉と考えました。
都の貴族から見れば信じがたいような人種で、彼等貴族達が坂東武者を『東夷(あずまえびす)』と恐れ、さげすんだのも無理もないことでした。

柴崎和泉守役の山口智充さんの荒々しい坂東武者ぶりが良かったですよ。

甲斐姫
忍城主・成田氏長と戦国時代最強のババァ妙印尼輝子の娘の間に生まれた長女。外祖母の血を隔世遺伝で受け継いでいた甲斐姫は、成田氏長が男子に恵まれなかった為か、東国一の美貌と武芸特に長刀に優れた姫武将に育った

甲斐姫もかなり魅力的な人ですね。榮倉奈々が溌剌と演じていました。

著者「和田 竜」氏
オリジナル脚本『忍ぶの城』で第29回城戸賞を受賞し、同作の小説化作品『のぼうの城』が第139回直木賞候補となったことで知られる。時代劇・時代小説を専門とする。

「戦国時代の余談のよだん」が面白そうだったので取り寄せました。
面白話をまたブログに載せますね。