那須 その2-1 「石」

殺生石を見に。
それぞれの由来が面白かったので載せます。

殺生石の由来について
昔中国や印度で美しい女性に化けて世を乱し悪行を重ねていた白面金毛九尾の狐
今から八百年程前の鳥羽天皇の御世に日本に渡来しました。この妖狐は「玉藻の前」
と名乗って朝廷に仕えた日本の国を亡ぼそうとしましたが、時の陰陽師阿部泰成に
その正体を見破られて那須ヶ原へと逃れて来ました。その後も妖狐は領民や旅人に
危害を加えましたので朝廷では三浦介、上総介の両名に命じ遂にこれを退治して
しまいました。
ところが、妖狐は毒石となり毒気を放って人畜に害を与えましたのでこれを「殺生石
と呼んで近寄ることを禁じていましたが、会津示現寺の開祖源翁和尚が石にこもる妖狐
のうらみを封しましたのでようやく毒気も少なくなったと語りつたえられています。
元禄2年には松尾芭蕉奥の細道行脚際、殺生石を見学し
「石の香や 夏草赤く 露あつし」の句を残し日記には「石の毒気いまだ滅びず、
蝶蜘蛛のたぐひ真砂の色の見えぬ程にかさなり死す。」と書き残しています。